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平工智浩レポート inバンコク

「名古屋テレビ報道局ニュース情報センター記者(ANNバンコク支局勤務)」

「自立した」青年実業家のドクさんに会った


 手元に1枚の名刺がある。
 先日ベトナムを訪れた際に会った、ある男性からもらったものだ。 名刺に記された名前は「NGUYEN DUC」。
 たぶん彼は「日本で最も有名なベトナム人」だが、おわかりになるだろうか? 
 答えは、ベトナム戦争時に米軍が散布した枯れ葉剤が原因で生まれたといわれる結合双生児「ベトちゃんドクちゃん」の「ドクちゃん」である。もっとも、「ドクちゃん」と呼ぶのはもう失礼だろう。 「ドクさん」と呼ぶべきか。彼はもう27歳なのである。

 「ベトちゃんドクちゃん」の存在を知ったのは、もう何年前のことになるのだろうか。
 2人の子供が下半身でつながっている姿にかなり衝撃を受けた記憶がある。
 彼らの存在なくして「ベトナム戦争」「枯れ葉剤」という言葉がこれほどまで日本人の心に刻み込まれることはなかっただろう。
 個人的には、分離手術を受けた後にドクさんが三重県内の病院に入院していたことが印象に残っている。
ちなみに、兄のベトさんは残念ながら去年亡くなっている。

 今回、ベトナムにはまったく別の取材で行ったのだが、現地の通信員が「せっかくベトナムに来たのだから」と彼を紹介してくれた。 松葉杖をついて待ち合わせ場所のレストランに現れたドクさんは、きれいな奥さんを連れてきた。
 何度も日本に行っているせいか、ある程度は日本語もわかるようで、「三重県にいたことは覚えている」と話してくれた。現在は病院の職員をしているが、コンピューターショップの共同オーナーになる予定もあるそうで、「青年実業家」としての顔も持っていた。 食事が終わるとバイクの後部座席に奥さんを乗せて、颯爽と家に帰っていった。

 今回ドクさんと会えたのは貴重な機会だったと思う。ただ彼と会った後、なぜか私の中には寂寥感のようなものが残った。
 うまく説明できないのだが、自分の中にあった「ベトちゃんドクちゃん」のイメージと、実際に会ったドクさんの印象とがあまりにかけ離れていたからかもしれない。もはやドクさんは「かわいそうで、援助してあげなければならない弱い存在」ではなく、しっかりと自立した青年になっていた。それゆえに、自分の心の中にいた「ドクちゃん」がどこかに消えてしまったような気がしたのだ。
 もちろん、私のそんな思いが身勝手なものだということはよくわかっている。
 
 ドクさんは今も時々講演会を行うために日本に行っているそうだ。今後も枯れ葉剤の悲劇を後世に伝える役割を果たしてくれるだろう。